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5月2日放送 ザ!世界仰天ニュース - 日本テレビ

5月2日放送

ザ!世界仰天ニュース - 日本テレビ

こんな病気があったとは知らなかった2時間スペシャル

 
 「悪魔祓いされた謎の病
 



◇ 関連記事

毎日新聞連載記事「抗NMDA受容体脳炎」
 



◇ 柳さんのお母さんからのおたより

ケロ|抗NMDA受容体脳炎|家族|21歳発症|2012年2-4月のおたより からご覧ください。
2015年3月までのおたよりご覧いただけます。



抗NMDA受容体脳炎医療講演会及び交流会のお知らせ


◇ みなさんからのメール

まぅ 
(抗NMDA受容体脳炎・本人・40代・10ヵ月前発症)

テレビの方ほど重傷ではありませんでしたが、突然でした。自分の意思に関係なく体が勝手に動き、口が勝手に開いたり閉じたり、勝手に声が出て、救急車も呼べず、たまたまご近所の方が通報して下さり、警官が来ました。パトカーに乗ったまでの記憶はありますが、翌日まで全く記憶はありません。
それまでも舌の出し入れや、ヘルペス、卵巣嚢腫全て思い当たります。
脳に異常はありませんでした。同じ月に2度入院、救急車が2度。
現在は、アル中の様な手の震えはありますが、何とか普通に生活出来ています。
でも、またなるんじゃないか?一生このままなのか?不安です。
イーケプラという薬を飲んでいます。
このままでいいのでしょうか?


キイロイトリ
(ギランバレー症候群とフィッシャー症候群・本人・30代・2年8ヵ月前発症)
 
初めまして。
私は広島に住む38歳の女性です。
先ほど世界仰天ニュースを観て衝撃を受けました。
私も似た病気になった過去があるので、他人事と思えなくて、衝撃的でしたが最後まで観ました。そして恵子さんの回復と御家族の皆さんの愛にとても感動いたしました。
私はギランバレー症候群になってすぐにフィッシャー症候群も併発し、身体の筋肉が低下し寝たきりになり目も見えなくなったりと、絶望しました。
家族も私も初めての病気に戸惑い、私は脳は正常だったから、意識は正常なのに身体が動かなくなり凄く辛かったです。どんどん痩せていくし、最初の一ヶ月、実の姉がほぼ毎日病院に来て私のお世話をしてくれました。睡眠時間1時間くらいでお仕事に行っていたと後に聞きました。母は私の家の掃除をしてくれたり私の洗濯物をしてくれました。姉とは普段喧嘩をよくしていましたが、入院中、姉は私に物凄く優しくて心から心配してくれて大切にお世話してくれました。恵子さんの御家族の皆さんもあきらめず、一生懸命にお世話されたのを観て涙が止まりませんでした。
私の姉と同じだと。家族の有難さを本当に実感していました。私は身体が動かないから泣いてばかりで、絶望しかなく、死へ向かっているのか、自分がこれからどうなるのかわからず、本当に毎日泣いていました。恵子さんの御担当医の先生が言われていた言葉、私も先生から言われていました。
『今日より明日、明日より明後日、昨日より今日少しでも何かできるようになっていたら良しとしよう。少しずつ良くなる。信じよう。』と。
姉からも『夜寝るとき寂しくても大丈夫だよ。明日は何か良くなってるからあきらめちゃだめよ。朝目覚めたら昨日より回復してるからね。』と言って私を抱きしめてから毎日帰って行ってました。
その言葉を毎日言われていたから少しずつ頑張ろうと思い、一ヶ月過ごしました。
だんだん目も見えるようになってきて、車椅子に座れるようになり、自力排泄ができなければ、リハビリ病院に移れないから、頑張りました。
発祥から2ヶ月目にリハビリ病院に転院し、リハビリを頑張りました。そこからも姉と母のサポートは続きました。リハビリ病院は2ヶ月入院しました。
自分がしている仕事はプロのダンサーです。もう踊れないと絶望していた時、仲間からの電話で怒られました。『〇〇を聴いてるか?』音楽なんて聴ける精神力はなく、『聴いてないですよ、、踊れないのに聴けるわけないじゃないですか、、』と言った瞬間に
『あかん、聴け!〇〇を聴くんや!お前はダンサーやろ?聴かなあかん!』と。
そして電話を切ってからすぐに聴きました。
そしたら一気に鳥肌がたち、目の前がパーツと明るくなり、もう一度ステージに立ちたいと強く思い、気持ちが絶望から希望へと変わりました。
履いてたヒールとカラフルなトレーニングウエアを持ってきてもらい、自分がダンサーだということを再認識させてもらい、カラフルなトレーニングウエアでリハビリをしていこうと決め、リハビリも泣きながらでも頑張りました。
あきらめない気持ちと、家族のサポートが回復へと導いたんだと、本当に感謝の日々です。
発祥から三ヶ月の入院を経て、全快しました。
燃え尽きそうだった命は、家族のサポートがあったから。そして音楽によって覚醒されました。
私も当時、奇跡の回復だと言われました。
ドクターや家族がびっくりしてました。
退院から1週間後にステージ復帰しました。
自分でも信じられないです。
恵子さんの回復も、とても感動いたしました。
素晴らしい御家族の皆さんとドクター、サポートされている周りの方々。本当に心が熱くなりました。
これからも今日より明日を信じて頑張って欲しいです。
私も退院してからステージに対して、気持ちがかわりました。
毎回最後やと思い全力で踊る。一つ一つのステージを命懸けでやろうと。
そして、周りの方々に感謝をし、優しい気持ちで接しよう。周りの方々へ思いやりを持ち尽くそう。と。私の場合は後遺症もなく元気に全快していますが、同じ病気で回復されない方もおられると聞いて、本当に心がぐちゃぐちゃになりそうです。
お亡くなりになる人もおられるとか。
神様、どうして、試練を与えるの?
でも、乗り越えられる試練をくださり、人生勉強させてもらえたんだと、今はそう思えます。
介護されたからわかりました。身体が動かなくなる辛さや、不便さを。
だからいつか家族を介護することになったら、この経験もいかせるなと。命を大切にしようと。
恵子さんも、本当に生きててくれて有難うございます。テレビで発信してくれたから、私もまた振り返ることもできたし、初めてのその病気も知りました。 応援しています。 今日より明日、少しでも良くなっていくことを信じています。
長々と失礼しました。
 

あき
(抗NMDA受容体脳炎・本人・30代・6年前発症)
 
私も同じ症状で経過をたどり、テレビを拝見して改めて私はこうだったんだと実感しました。私は重症ではありましたが現在は社会復帰もして車も運転しています。今回の交流会に行って現在の悩める家族のかたとお話がしたかったのですが、アメリカにおり7月に帰る予定なので次回機会があれば是非、声をかけていただけたらお話しできればと思っています。文章では上手く伝えられず申し訳ありません。
 

rakuda
(抗NMDA受容体脳炎・家族・40代・2年前発症)
 
先ほどの世界仰天ニュースも父と家族揃って見ていました。
柳さんや、ご家族のご体験が少なからず私たち家族と重なるところもあり、これまでを思い出すと共に良くなられた柳さんの姿を拝見し大変希望が持てました。

大森さんご自身も大変な中、SAKURAの運営を続けて下さり本当に有難うございます。
今度の交流会では、男性患者の方のご家族とも是非お話し、つながりを持てたらと思います。

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コメント

私は抗NMDA受容体脳炎を9年前に発症しました。

さっき仰天ニュースをみて、私と同じ病気を同じ位の年齢で発症した女性の話を見ました。

私は、脳炎を発症してもうすぐ10年が経ちますが、両足に麻痺が残って歩けません。

ですが、幸いにも足以外には後遺症は残らなかったので、現在は社会復帰して就職する事ができたのですが、今日テレビで偶然私と同じ病気で苦しんでいた方が、奇跡的に回復して、しかも自分の足で歩いて自転車まで乗っていていたのを見て、私もいつか絶対歩けるようになりたい!諦めるのはまだ早いと考えさせられました。

この抗NMDA受容体脳炎は、まだ医学で分かってる事は一握り。そもそも脳に限界はないはず。
柳さん、気づかせてくれて本当にありがとうございます。

抗NMDA受容体脳炎の集会にずっと参加したいと思ってるのですが、3年前に行われた名古屋集会は残念ながら行けませんでした。
今後また名古屋集会がある時は絶対参加したいと思ってるので、その時はよろしくお願いします。

見ました。感動しました。家族すごい。本人もすごい。何と言っていいかわからないけどすごい。応援したい。みんなに知ってもらいたい。

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