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くみ|脳炎|家族|66歳発症|2003年のおたより

   くみ   2003/01/08 (水)

はじめまして。去年の夏、脳炎で父が亡くなりました。全身の痙攣がひどく、医者からはアルコール中毒と診断されました。転院して、ようやく脳炎ということがわかりましたが、「覚悟して下さい」と言われました。亡くなるまで、暴れる父を両側から抱きかかえ、徹夜で看病しました。あんなに父の手を長く握っていたのは、子供の頃以来だと思います。挿管してからは、嘘のように静かになり、もういよいよというときに「ありがとう。あなたの娘で良かったです」と言ったら、父の目から涙がこぼれました。数時間後、静かな静かな最期を迎えました。死亡宣告を受けた後、再び父の目から涙がこぼれました。お医者さんも看護婦さんも驚いておられました。

 
なぜ脳炎に?なぜ死んでしまったのか、納得できなことばかりです。種類も特定できないままでした。今年のお正月、いるはずの父がいなくて、本当に本当に寂しかったです。
私が普段お世話になっている内科の先生に報告したら、「納得しなくていいんだよ。どんな病気だろうと、事故だろうと、家族にとっては、どう説明したところで納得できるものはないと思う。大事なのは、忘れないことだよ。あなた達が、しっかり生きていくこと」と言われました。

後遺症で苦しんでおられる方々、現在も病気と闘っておられる方々、そのご家族や恋人やお友達の方々、どんなにか苦しい想いをされていることでしょう。でも、どうか諦めないで下さい。たくさんたくさん、話しかけて下さい。会えなくても諦めないで下さい。
私は、例え父が寝たきりになったとしても、生きていてほしかった。二度と会えない、ということを、私は父から教わりました。こんなに悲しいこととは思いませんでした。
頑張っておられる方に、頑張ってと申し上げるのは好きではないのですが、一度だけ言わせて下さい。頑張って下さい。後遺症は、本当に辛いと思います。でも、生きてて欲しい。そう思っている人がいます。


メールを送りました  くみ  2003/01/11 (土)

りえさん。メールを送りました。

私は歌うことが大好きで、挿管してから父の耳に私が歌った歌を録音したMDを無理矢理聴かせました。そのときに「ありがとう」と言ったのです。私が駆けつけたときは、既に私のことは娘と認識できない状態でした。悲しかったけれど、そんなことはどうでもいい。父が生きててくれればそれでいい。私のことはわからなくても、とにかく生きていてほしい、そう思いました。母の動揺が大きかったので、治療における選択は全て私がしました。難しい判断もありました。責任も感じています。本当にこれで良かったのか迷いもあります。何をどうやっても助からなかった、とお医者様から説明を受けても、やはり自分を責めることもあります。

でも父が遺してくれたことがたくさんあります。私の命もそうです。だから、悲しい気持ちが変わることはありませんし、癒えることもないと思いますが、そのままでいいと思っています。悲しいのだから。でも、一生懸命生きていこうと思っています。

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